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| ■ユニバーサルデザインが五感で紡ぐまでぃの里思いやり推進事業 090111 |
| 理事 齋藤 |
| 皆様、新年明けましておめでとうございます。新年の挨拶を共に“までぃの里思いやり推進事業”の感想を纏めさせて頂きます。 |
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「名ばかりの理事で申し訳なく・・・」「いのち輝いて」コンサートや「UDのつどいinまでいの里」に参加して、UDの果てしない可能性を見た思いがしています。何故なら、結のスタッフが多分に「UDの普及を」と勇んで臨んだであろう飯舘の地で、既に子供さん達が、村の方々が、理屈ではなく「UDのこころ」をお持ちだったこと。そして、ちょっとしたきっかけの提供が手作りの沢田知加子コンサートに繋がり、写真コンテストにおける子供さん達の視点の再確認になり、他県から移住(移転?)してきた方々の感想を知ることになり、つどいのパネラーや参加者の方々の誇らしく自慢げな話から、頑張っている方々のことや村のいいとこ,再発見になるなど、どんどん膨らみ、シナリオがあっても結果は違うものになったのではと思いました。 |
| 思い起こせば9月頃だったでしょうか、結の会員である八代さんが講師としてお話をされるとのことなので「見える不自由さはもとより、見えない(相手が気付かない)嫌だったこと、辛かったこと、悔しかったことを冷静にお話しできないか、当事者だからこそ伝えられる真実があるのでは・・」などと、病気の経緯を知りもせずに結のML上から、勝手なお願いをしたことが思い出されました。 |
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体験談の中で「ギフト」の「がんばれ~」に励まされたことをお話しされ、それが契機となって沢田知加子コンサートにまで大きく膨らんだことは予想を超える成果ですし、コンサートを企画し、参加した生徒さん達の10年後、20年後、否、いつまでも語り継がれる大きなこころの財産になったと思います。 |
| コンサート当日は11月末なのにとても寒く、雪が舞う天候でした。飯舘中体育館に着くとジェットヒーターがゴーゴーと唸りを上げており、大丈夫?との思いがよぎりました。でもそんな心配は杞憂となり、寒さどころか生徒さんが使っている硬い椅子のお尻の感覚も忘れるほどの熱いコンサートになりました |
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| あの環境で、沢田知加子さんの肩を出したドレス姿には、流石にプロ魂を垣間見た思いがしましたし(コンサート終了後の玄関口でのCDジャケットサイン会もそのままの姿だったのには二度びっくり)選曲もベストマッチでした。「がんばれ~がんばれ~」って、胸が切なくなりました。辛く苦しんでいる人に「がんばれっ」って言っちゃいけないって聞いてましたけど、あの「がんばれ~」はやさしくてあったかくて、甘えたくなるお母さんの「がんばれ~」でしたね。「しゃぼん玉」も、野口雨情が長女を生後僅か7日で亡くしたことがきっかけの詩だといわれ「失われゆくもの」「失われてしまったもの」に対する情感が歌われています。 |
作曲した中山晋平はそのことを知らないはずはなく、敢えて明るくリズミカルなメロディーにしたのか、それがまた哀しさを募らせます。「うさぎ追いし彼の山~ 小鮒釣りし彼の川~・・・」を聴いて、不覚にもうるうる」になりました。胸の奥深くの郷愁を掻きむしられた思いです。
日本の童謡っていいなぁとしみじみ感じたのは私の年齢のせいだけではないでしょう。
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菅野村長さんは「ふるさとは遠くにありて思うもの、近くにありて守るもの」と室生犀星の詩を飯舘バージョンにアレンジして紹介をされてました。「ふるさとは遠きにありて思ふもの そして悲しくうたふもの・・・」と詠んだ犀星の心情は分かりませんが、齢重ねた私の勝手解釈では、「遠くに・・」は距離ではなく、時空なのだと確信しています。 だって、童謡の「ふるさと」の歌詞とドンピシャです。そして、飯舘はこの「ふるさと」に相応しい、あったかいやさしさ、懐かしさ、いとおしさの匂いが残っていると思うのです。「いいたて」が遠くにありても近くにありても、いつまでも「ふるさと」でありますように |
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